いいものはいいという感覚共有を求めて人が集っているということ。

Posted by theatreminori on 27.2011 主宰者コラム 0 comments
こんばんは。おはようございます。
深夜はBS1でNFLを楽しみながら作業するSugiです。

今夜はさらに新たな音響を掘り起こすために時間を割いています。前作では自ら舞台に立っていたため、省略せざるを得なかった部分もありましたが(それでも作曲したり、歌レコしたりと新たな試みにトライしましたね)、今回はかなり煮詰めています。まだひとつの軸になるような部分がフィットしていないので、どうにも切りがないと申しますか、いくら福引を引いてもポケットティッシュばかり獲得しているような気分です。

だいたい、私が一つの音を決めるのに、候補になる素材は100~200曲。作中に音が10か所必要ならその10倍をピックアップして吟味します。特に、テーマに相当するような主軸曲を選ぶ際には、少なくとも500、多いと1000曲は耳にします。当然様々なジャンルの音楽に触れます。時代、世俗、国家、趣向…これまで全く関心のなかった世界観に触れることができます。これだけ音を聞いていると、さぞやジャンルやアーティストに詳しいのだろうと思われるかもしれませんが、意外とそういった部分は頭に残りません(曲が採用されれば別ですが)。名前やジャンルで音楽を聴くわけではないので当然のことですが。

音楽同様、人間を形容する枠組みはいくつもあります。しかし、そんなものでその人物を見ていては、その人間の本質に触れることはできませんし、その人物が本質を発揮することさえできなくなってしまいます。だから私は、特異な環境下で舞台創りに取り組む際も、誰に対しても高い要求を突き付け、成果を共有しようと努めています。そこには偏見や嫌悪、または友情や激励といった陳腐な感情はありません。唯一、何かが存在するとすれば、それは信頼でしょうか。己をさらけ出す勇気を示したものには、舞台上で最高の輝きを約束する。それだけです。

だから、そこまでやるの?と周囲が驚くような労力を注ぎ込んで、彼らを輝かせるための準備をしています。裏切られれば、信頼は成立しません。彼らの勇気と、たゆまぬ努力、我をも凌ぐ執念が湧き上がってくることを信じているわけです。

だれにも事情があり、苦悩があり、不幸がある。そんなことに気を使っていたらいい作品は生み出せません。それをひけらかして手心を求め、そこへ逃げ込んでいるような者、ネガティブな贈賄を謀る者には、人前に立つ資格はありません。そんな後ろ向きな人間のために、私は身を削って努力をするつもりはありません。いや、努力などできるはずがありません。それができる人物は聖人でも賢人でもない、ただのお人好しの腑抜けでしょう。

我々は、誰もが平等に闘っているのです。だから、同じ舞台に立てるのです。道に迷った時こそ、自分が立っている舞台のことを思い出しましょう。余計な枠組み、慣例、定説、義理などは必要ありません。それらを超えた先で何をすべきか、自ずと明確になるはずです。

だって、いい音楽は、ジャンル、背景など関係なく、聞いただけで「いい」と感じるでしょう?
我々は、いや、モノを創る人間は、みんなそれを目指しているわけですよ。
そして、お客様はそれを体験したいからお金と時間を割いているわけですよ。

さあ、みなさんの答えは、どんなもんでしょうかね?

▶ Comment

▶ Post comment


  • 管理者にだけ表示を許可する