5月26日の「宴もたけなわ」です。

Posted by theatreminori on 26.2016 稽古レポート
本日は午後の稽古が通し稽古ということで、ほとんどの団員がある種の緊張感を持ちながら、心ここにあらずなのか…と思いきや、午前中の制作部では、目の前のグッズ、衣装作りに集中して取り組む団員がほとんどで、それぞれが複数の役割に責任を持てるようになってきた様子が感じ取れました。

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そんな制作部は相変わらずマルチな活動です。ほとんど個人戦です。グッズも複数種類あるため、一口にグッズ作りをしている団員たちと言っても、やっていることがそれぞれ違っています。もちろん衣装作りも同様です。「それだけみんながいろいろなことをやれるようになったんですね」と、制作がしみじみと振り返っていました。技術的なことだけではなく、「調子が悪いから休ませて~」と休憩モードだった団員も、他の人が頑張っているという事実を突き付けられると気持ちを入れ替え、すぐに作業に参加したり、先週まで製造したグッズの出来が悪かったことに対しては「まだまだお客様に買ってもらうためという気持ちが足りなかった」「発案者の気持ちをないがしろにしてしまったかも」などの反省の弁が出るというように、気持ちの面にも成長が見受けられます。もちろん失敗したグッズはみんなで作り直すことにしました。作業中は静かな制作部ではありますが、心の中はアツく燃えています!

そして午後は通し稽古です。これまで何度か脚本読みの段階で通していますが、全シーンの稽古を経てからまとめて通すのは初めてです。これまでの稽古で身に付けたことを表現できるか、そして、稽古の時はバラバラだった各シーンを冒頭から一本の線につないでいくことができるかという緊張と不安、そして通すとどんな感覚が得られるのかという期待感が入り混じった通し稽古です。

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その前に、実はまだ稽古していなかったラストシーンの稽古を行いました。物語を完結させる大変重要なシーンです。微妙な間合い、言葉の伝え方、立ち位置など、細かく気を使わなければいけないことがたくさん詰まっています。通し稽古も控えているためあまり時間が取れませんでしたが、密度の濃い稽古でした。

いよいよ通し稽古。始まったら何が起こっても最後まで続けなければいけません。そんな当たり前のことを確かめるためなのか、序盤から細かい「何か」が起こりまくっていました。目に見える間違い、気付かないような錯誤、そして修正したはずなのに修正前に戻ってしまっていた演技など、その「何か」たちは、物語のリズムを崩し、演じる者をより一層の疑心暗鬼に追い詰めます。それでも何とかお互いにフォローをしてラストまでたどり着きました。通せたことはひとつの自信になったかもしれませんが、内容としては「まだまだ表に出せないレベル」と演出に切り捨てられる内容でした。

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個々のスキルの問題はすでに4月末に課題として役者全員に伝えられていますので、それは各自が責任を持って修正するとして、そういった個の力が物語の中でお互いに関連し合って表出するということが理解できていない、あるいはそういった観点で物語(他者のセリフや表現したい物)を捉えることができていないという点が大きな問題でした。随所にいい表現、個人としては頑張って改善した点などが見受けられたのも確かです。しかし、それが他の役者と絡むことで打ち消されてしまうことが多々ありました。お互いが相手の良いところを引き出すのではなく、いいところを消しあう演技が目立ったということです。それだけ自分の演技、セリフを形にすることだけで精一杯だったということです。まだまだ完成度が低いですね。

今週は特にイベント的な活動が重なった週でもあり、団員によっては疲労が重なった状態でこの日の稽古に臨んだ者もいました。しかし、いくら大変だからと言っても、それを言い訳にしてお客様の前に出す物の品質を下げてしまうことは許されません。そんな言い訳を前提に芝居を見せられて、誰が楽しめるのでしょうか?そもそも見に行きたいと思ってくれるはずがありません。どんなに普段大変だろうが、何に悩んでいようが、そんなことは関係ありません。そこで表現できたこと、結果が全てです。辛いとか、苦労していることをお客様に事前に説明して、そんなフィルターで補正してもらった上で芝居を見てもらうというのは、てあとるみのりの趣旨に反します。フツーの人とフツーの演劇をやって、フツーの人にも見てもらおうというのであれば、自分が出来ていないことを正当化するような言い訳をひけらかしてはいけません。その覚悟はすでに団員の間では共有されているはずです。どんな立場の団員でも、ひとつの舞台の上で平等に演劇に取り組んでいます。だからこそ、時に厳しい要求が課せられることもあります。より良くするため、ひとつになりたいがために、相手を叱責することもあります。それは極めて当たり前のことです。私たちは「障がい者の演劇」を目指してはいないのですから。