4月も下旬に差し掛かり、実際に製造がスタートしたグッズもある制作部は、これまでの話し合い中心だった活動より、人数の集まりが良くなってきました。今のところは案のままのグッズや衣装も、具体的な試作が並行して行われているので、すでにもの作りムードがあふれる時間になっています。

この日は机を囲んでグッズ作りを行うグループと、衣装案の試作を行うグループに分かれて作業しています。グッズ作りはすでに試作ではなく商品の製造ですので、企画通りに丁寧に、失敗せずに作業しなければいけません。しかし、作業に取り掛かったのはこの日が初めてということもあってか「うわ!」「ああっ!しまった!」「えー!何やってるんですか?」といった、声だけ聞いても「失敗したな」という雰囲気が漂っていました。ちょっとしたミスは何とか修正を施して対処していますが、完成品に若干の個体差が出ることでしょう。これも手作りグッズの醍醐味です。

衣装案は、ひとまず形を仮縫いし、試着してみて様々な角度から検討を行っています。「もっとここを長くしたらどうか」「このままだと○○○じゃなくて▲▲▲に見えちゃうね」と、目指す空想的なイメージと実際の三次元におけるイメージのギャップを埋める作業です。また、衣装に関しては予算との戦いもあります。時にはいかに安い素材でそれっぽく見せるかに頭を悩ませることになります。服を作るのに服を作るための布をそのまま使うということはまずありません。この写真の衣装の原材料は…カーテンです。
午後の稽古では、まずはダンスパートの練習を行っています。先週までに確定している振り付けの確認と、ただの段取りではなく、それぞれの人物のカラーを反映させた動きへの結び付けを稽古しました。練習を始めたころはかなりぎこちない動きが目立っていましたが、何回か繰り返して練習しているうちに、それなりの形になってきた気がします。ちょっと踊っただけで「はあはあ」「ぜえぜえ」吐息が切れる運動不足の人が多い団体ですが、ここからさらにレベルアップを目指しています。

演技の稽古では、先週の話を踏まえ、稽古に臨むにあたって、どこまで演技を仕上げて臨むべきかという話になりました。というのも、稽古で披露した演技に芯が通っていない、何をどう表現したいのかわからないような演技をしている役者がいたからです。どういう考えでそうなっているのかを確認すると「自分でも自信がなく、これでいいのかなと思いながらやっていた」とのことでした。稽古で積み重ねたものが本番で披露されるということを考えると、このような稽古への臨み方では「本番も疑心暗鬼のまま釈然としない演技を見せる」ということになってしまいます。稽古でも本番でも、他者に演技を披露するということは、演者が覚悟を決めて、その瞬間に集中できるようにしなければ、形のあるものを何も伝えられません。その形が妥当かどうかは見てもらってからフィードバックを受ければいいわけです。むしろ稽古ではそのようなトライ&エラーを繰り返していかなければ、演技の品質を向上させられません。ひとりで頭の中だけであれこれ考えているだけ演技が向上するなら、稽古をする必要はありません。

そんな少しシビアな話があった後の稽古でも、てあとるみのりの大女優はマイペースでした。先週もこっそりと脚本をカンニングしていた彼女が、今週はさらに大胆に脚本を共存していました。相当自分のセリフが不安なのでしょうか。途中、同じ役者から脚本を放すように伝えられ、果たしてどんな演技になってしまうのか…と思っていると、面白いことに、脚本をじっくり見ていた時よりも周囲に対するリアクションや、セリフに込められた感情の表現が増加しました。文字面だけ自分のセリフを追いかけていた時とは、雲泥の差の演技でした。「さっきまでは物語の外にいましたけれど、今回はやっとみんなと一緒の舞台にいましたね」と、演出からも脚本を手放したことでの良かった点が伝えられています。

稽古時間が限られた中で、複数の役者がそれぞれの演技の構築を目指しています。しっかりとした準備、振り返りの反映を積み重ねなければ、結局のところ芝居全体の品質向上にはつながりません。稽古が本格的に始まってしばらく経つと、そのことを忘れて中だるみしてしまうものです。どんな時でも十分な準備をして稽古に臨むことが、個人の演技だけではなく、芝居全体を高めていくために必要なのです。