9月24日の「2025」です。

Posted by theatreminori on 24.2015 稽古レポート 0 comments
大型の連休中でも、運よく活動と稽古のある木曜日は平日のままでした。公演までの時間が少なくなってくると、活動を止めてしまうのは限りなく勿体なく、焦りを感じてしまいますので、この幸運をしっかりと活動と公演に反映させたいところです。団員たちも無事に顔を出して活動に参加しています。

午前中の制作部は情宣活動への動きが本格化していました。フライヤーを近隣の関係団体に送付するためのダイレクトメール発送準備、さらに掲示用のポスター作りなど、あっという間に時間が経ってしまう中で、失敗の許されない作業が続きました。通常はダイレクトメールのラベルはシールを使うのですが、予算を削減するために、フツーの紙に印刷して、一枚一枚を切り出し、糊で封筒に貼るという作業で対処しています。予算削減という側面以外にも、より多くの団員が作業に関われる環境作りという意味合いもあります。このあたりの作業の構築方法が、一般の劇団とは異なった、てあとるみのり(その構成員)ならではでしょう。

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午後の稽古は、ひとつの節目を迎えています。すでに以前から告知していたように、この日の稽古から脚本を手放して舞台に立つことが義務付けられているからです。もちろん、これまでも自主的にハンズフリーで演じる役者もいましたが、それはほんの一部。どうしても不安があるうちは脚本に頼ってしまう(それを凌駕するだけの準備が不足している)役者の方が多数でした。やはり公演を前提としている以上、脚本を手放してからが本当の勝負です。これまではリラックスしてできていたこと、テンポよく交わされていた会話などが、安心と安全を手放した途端にどう変化していくのか?この日はそんな期待や不安が入り混じった稽古でした。ほとんどの役者が期待よりも不安ばかりだったのは明白でしたが…。最大の問題は「会話になっていない」ことが顕著だったことです。

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我々は日常生活において、次に何を話すんだ、あの人の次が自分の番だ、あの人がこう言ったら笑うんだ…などときっかけや段取りを意識した会話を行うことはありません。それは会話とは言い難いものです。しかし、芝居の中の登場人物たちの会話には、平気でそういうことをさせてしまうことが多々あります。それが作り物のお芝居だからという考え方もあるでしょうが、役者の心が動いて言葉や態度が表出しない演技に、誰が何を感じるでしょうか?観客の心が動くのでしょうか?

このテーマは演技を語る上で永遠のテーマになる代物です。素人が考えたところで、一朝一夕に身に付くものではありません。しかし、脚本のセリフ、演出家の指示だけを頭で記憶して、忠実に再現して褒められようとする「ロボット」になることが、役者の技量ではないとも言えます。そこに存在する、生きた何かにならなければ、役の中に存在する生命を描くことはできないのではないでしょうか。だから、この難題を意識し、常にその境地を目指す努力が必要なのです。てあとるみのりの団員たちにもその感覚を意識して、セリフを覚えることだけに腐心するのではなく、物語の世界に生きること、登場人物として自由に生命と時間を楽しむことを大切にしながら、脚本に向き合ってもらいたいところです。目先の稽古での評価や、セリフの正誤ばかり意識してしまうのではなく、もっと大切な演じる面白さを目指して、次の稽古に向けた準備を積み重ねなければいけませんね。

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