いよいよ2月12日の文化交流会まで1カ月を切りました。しかし、すべて順調に進んでいるわけではありません。予定ではこの日に完成しているはずのもの、ある段階に進んでいるはずのものが、仕上がったりまとまったりしていません。先送りにしてしまっている事柄が多いようです。制作部では衣装のこととチラシのことで具体的に踏み込みながら、この遅れを挽回するような総監督のテコ入れがなされていました。なかなか具体的な提案ができずにいた衣装に、具体的なイメージがフィードバックされていきました。その甲斐あって、何とか現物を収集する段階に到達できました(プランが未確定の衣装もありますが)。
チラシは少しずつ、しかし確実に作業を進めてきたので、基本デザインは固まり、細かい配置、文章の内容の精査に入っています。ここまでくればもうすぐ完成…と思いきや、実はここからもそれなりに時間を要する作業なのです。ひとつの文字の大きさ、オブジェの配置、色の濃さなどで全体の印象が変化してくるので、様々な試行錯誤の繰り返しになります。何パターンも作った末に、もっともよいひとつを決めなければなりません。
午後に進捗状況を確認した音響は、まだまだ曲がバラバラな印象で、作品全体に対するイメージを重ねられていませんでした。きっかけとしての音に固執してしまうと、最も大事な作品のテーマ性を見落としてしまいかねません。普段何気なく耳にしていると「いい雰囲気だった」「気分が乗った」と感じる音響。いざ自分たちで用意していくとなると、その作業は非常に難しいことに気が付きます。とは言っても、すぐにあきらめるわけにもいかず、次回の稽古までにプランを構築することになっています。
そんなスタッフ業務の進捗状況もあって、午後の稽古前には団員に向けて総監督から、もっと情熱や執念を作品に、己の役割にぶつけるようにという檄が飛ばされました。技術の上手い、下手よりも最も大切なことは、舞台創りに臨む信念、思い、執念などです。そういった気概を皆が持ち合わせていなければ、同じ方向を見ながらひとつの舞台を創ることができません。それができていないバラバラの状態だから、審査員の目には「ひどい舞台」「何をしたいのかわからない」「よくぞこれで舞台に立つ気になった」としか映らないのです。取り組む姿勢、直向きさ、かつて初めて舞台に立った時には誰もが持ち合わせていたはずの重圧と高揚が、回を重ねるうちに和らいでしまい、いつの間にか気持ちや手を抜いた取り組みになってしまうのです。だから「次の公演はセリフの軽めの役で」「次は裏方でいいかな」といった希望を平然と掲げてしまうのです。そんな言葉が出る時点で、何としてもいい作品を創る、その一員として食らいついていくという気持ちはないのです。一部の人間が積み上げた執念によって形が整った舞台が「与えられて」いるだけです。果たしてそこに立つ意義があるのでしょうか?それ以前に、そこに立つ資格があるのでしょうか?「やりたい」ものにはもっと貪欲に、情熱を傾けて取り組まなければ、何も始まらないはずです。



今日の稽古はこのように、ここに集まっている動機を見つめ直した上で行われました。その成果がどの程度あったのか?それは実際に第14回公演「てんとせん」の舞台上でお確かめください。