外は夏のような暑さだったこの日、稽古場になっているハートランドみのりの中もかなりアツくなっていました。もっともっと、自分たちの表現、センスを磨かなければいけないことを痛感した団員たちの熱気が、部屋の気温を上昇させていた気がします。

そんな思いの発端は午前中の制作部でした。昨日「演劇集団TOY's BOX」さんの公演を見に行った団員2名が、かなり面白くて制作面でもレベルが高かった事を、自傷的ショックを伴った様子で報告。張り合うつもりはないにしても、同じ会場で、似ている価格設定でそれだけのものを見せてもらえたこと、もてなされた感覚は、娯楽を創造して提供する者として大いに参考になる物だったようです。しかし、そこで敵わない壁だと思ってしまう必要はなく、自分たちがこれまで培ってきた良さを生かせばいいではないか…という前向きな動機が必要です。そのための状況整理と、本来我々が作り出すべきグッズ、商品の話に及びました。仮にお金をかけて業者に発注して、見てくれを良くしたとしても、基のデザインは自分たちのアイディアと造形です。とにかくオリジナルティの確立が急務というのが、今さらながら納得できました。その共通認識があって、やや方向性を見失ったチャレンジではなく、過去にお客様から認められた「良い面」を、再び取り上げてみようということになっています。同じ手を使うことにも、確固たる道理があれば、マンネリにはなりません。需要がある以上供給は肯定的に受け入れられるものです。

そんな話を経て迎えた午後の稽古は、いつも以上にアクティブだったような気がします。脚本を手放して演じることに挑戦した者、言葉よりも動作の自由度を優先した者など、個々の思いを強く表出させながらも、全体でひとつにならなければいけないという思いの共有…。少しは全員が同じ方向を見られるようになった気がします。演出家も対等に役者と向き合い、辛辣かつ的確な言葉のやりとりを経て、お芝居の品質を向上・構築させていきます。ワンシーン演じては振り返り、演技の意図、行動の裏側をお互いに確認していく作業は、一見すると地味なようですが、そんな些細なことの積み重ねがお客様に与える「面白さ」に直結しています。その積み重ねを追求するのが稽古なのです。


演出と役者がそれぞれの思いを語り合うことで、稽古は少しずつ前へ進んでいきます。何の意図も持たない演技には、演出から鋭い指摘が入ります。ここで看破されるような浅はかな演技であっては、お客様の目を納得させることも、ごまかすことさえできません。これも稽古の大切な要素です。稽古の段階から日頃の立場、やむにやまれぬ事情の理解よりも大切な判断基準を浸透させていきます。

客観的な視点での気付き、他者から提示されたオリジナリティから受ける刺激は相当な物だったようです。そんな刺激による団員の行動が、9月の本番まで継続することを祈るばかりです。もちろん、祈るだけでは何も変わりませんけれど。次週から6月に突入します。突入してしまいます。