どうも。総監督の椙田です。21日(金)からは、余所の団体の舞台に役者として出演する椙田です。なんと、チケットがほぼ完売というビックリな舞台です。てあとるみのりも前売り完売を目指しましょう。
さて、20日(木)の稽古は変則的でした。演出を務める私が、どうしても外せない行政との会合に出席するため、稽古時間の途中までしかいられず、残り時間は自主稽古となりました。

約1時間ほどの稽古では、先週の通し稽古で課題になった部分がどの程度克服されているかが注目されました。まだまだ、しっかりと改善してきた役者と足踏みをしている役者が混ざっていました。また、セリフの真意、その言動が物語の中でどのような意味合いを持つのか・持たせるのかの解釈が構築されていない役者もいました。公演まで1か月。稽古は4回しかない状況です。目覚めを待つゆとりはありませんので、言葉の裏側に関するヒントが次々と出されています。「そこまで考えて脚本を読んでいなかった」「今までセリフを覚えた気でいたけれど、何をやっていたんだろう」と、今さらながらに、演技の核心に触れて、打ちひしがれる役者の姿もありました。

しかし、そんな奥深さ、言葉の裏側の感情・思惑に基づいた演技ほど面白いものはありません。言葉が記憶としてではなく、感情やキャラクターから自然と溢れてくるのですから、演じていてこんなに楽しいことはありません。ぜひ、上辺をなぞるのではない、本当の演技に近付いて、演劇の面白さを何倍にも増幅させて実感していただきたいところです。

自主練習ではそういった物語の神髄に少しでも触れるため、記憶をたどるのではなく、物語をたどろうと、あえて脚本を読みながらの稽古が行われていました。さらに、役をシャッフルして、相手が受ける感覚、気付きを得る試みも行われています。貴重な稽古時間の中で、何かをつかもうと必死になっているさまが伝わってきます。

実際にはこれまでも、どんなセリフにも言葉の裏側に潜む意味がありました。人物の主観的な意味、物語の中で位置付けられる意味など、その性質は様々ですが、練りに練られて命を与えられている言葉のひとつひとつですから、ただの形であるはずがありません。役者は時として、セリフを覚えることを第一のミッションであると履き違えてしまいますが、そんな本質を見抜くことこそ、役者の使命でもあり、楽しさでもあるはずです。この日の気付きを、大切に育ててもらいましょう。
この成長は、人間としての成長に直結します。自分本位で物事の表面だけなぞって一喜一憂しないようになるだけで、息苦しさが、生きる苦しさが軽減されるはずです。
まずは、ゆる劇×芝居屋-万-コラボ公演「Re:Birth」で、来場した団員たちに主宰者自ら、役者としての姿を見せつけてみます。