どうも。代役で飛び跳ねまわっていたら足腰肩が痛むSugiです。いよいよ稽古も残り3回です。制作部関連の準備は稽古日以外にも進められるので、時間的にはある程度計算通りなのですが、役者が揃って(全員ではないですけれど)の稽古は限られた時間しか与えられていません。この感覚は言うなれば大人の芝居作り。各自が先週指摘された課題はもちろん、自分で感じた改善点を責任を持って改めた上で稽古場に集まる。最初からその構造に変わりはないのですが、残りの稽古日数が少なくなると、その重みをより強く感じるようになります。
制作部はすでに細部に分かれての作業です。宣伝美術スタッフから挙がってきたパンフレットデザインと内容を確認し、切り出しまで試作。グッズへのパーツ装着。小道具作り。音響作りなど、すでに制作の枠を越えているようなものもありますが、限られた時間を有効に使って、舞台全体、公演全体の品質向上に取り組んでいました。
午後は通し稽古を行っています。このような日程の中の貴重な通し稽古。緊張してガタガタになるのではという定番的展開の予想に反して、全体として一体感がありました。実際にはミスが多発する、満足のいく内容ではないというのが現実です。それでも、物語の雰囲気を作り出す重要な要素のひとつ、仲間との交流が、少なからずその片鱗を形作っていたようです。その思いの連鎖は難関だったパフォーマンスパートにも良い影響を与え、純粋に心に届くような、暑苦しくないアツさ、言い換えれば心温まるような感触を残していました。
それでも、先述したとおり、ミスばかりだったことは事実として受け入れなければいけません。セリフが抜ける、止まる、異なったことを発するなど、この物語の味を損なうミスばかり。これではこの物語の魅力は半減です。一つひとつの言葉の関連性、相互作用を生かすために、もう一度細かい部分まで言葉の意味・つながりを見直すことが、全ての役者に求められました。もちろん、フィーリングで柔軟に発することが可能な言葉もあります。しかし、物語の本質を彩るうえで、はずせない言葉が幾重にも折り重なっているのが、この作品です。点を線につなぐような作業を、お客様が自然に受容した時、真の感動を残すことができるのです。今回の稽古を見る限りでは、ひとりとしてその基本的姿勢を頭では理解していても、実践できていませんでした。つまり、脚本を読み込むという作業・ミッションが、(自分の)セリフを覚えるためだけの形式的努力にしかなっていないということです。
稽古回数が少ない中で今さらこんな原点回帰を促すような課題に直面した役者たち。しかし、悲観することはないのです。「脚本を読む」という取り組みは、稽古時間以外に行うもの。制作部の取り組み同様、時間はまだあります。各自がしっかりと課題を持ち帰り、消化し、昇華させる。その成果を次の稽古に持ち寄ることで、乗り越えられる課題です。この瞬間から己との闘いです。
なお、稽古には照明を担当していただいている
芝居屋-万-のスタッフが1名、見学に来訪。具体的なイメージを目に焼き付けていただきました。盛り上げてくださりそうです!

役者の演技だけではなく、カメラアングルも気合が入っています。

恒例の円陣を組んでの気合い入れ。
実は稽古の最後にも行っています。
それぞれが次の稽古まで闘い抜き、また一緒に笑い合えるように。
…それにしても、意外にもすがすがしい表情。
課題はあったが、手応えも大きかった通し稽古だったようです。
ある意味、道が示されたような感じで。