向き合うべきは過去の自分と語らせた自分に向き合う四月の疼き。

Posted by theatreminori on 30.2012 主宰者コラム 0 comments
どうも。最近のCD2枚組はケースがスリムなのはうれしいけれど、背中合わせのディスクを取り出すのにドキドキしてしまうSugiです。

最近は「Mission」の脚本構想にかなりの時間を割いています。ここ10日ほどの間に次々と素材が結合して、いや、結合させてくれるような出会いや触れ合いがあったので、急激に物語が成長しています。あまりにも急激な進展に、突然変異のようなイレギュラーが発生しているほどです。要するに、アイディアが沸くけれどまとまりを欠いているような、そんな嬉しい悲鳴状態です。

こうして報告すると、脚本作りが順調なように感じるかもしれませんが、順調に仕上がる脚本などありません。発端が順調であればあるなりの苦悩、煮詰めるまでの奥深さと、自己満足までの高いハードルが存在します。最初に苦労するか、後で苦労するかの違いといいますか、いずれにせよ生みの苦しみは付きまとうものです。

脚本の完成(役者に配本)は4月末日をイメージしています。「かなり早いね」と言われることが多いのですが、自分ではかなり遅いと感じています。もっと早く完成させなければ役者に失礼だと感じています。もちろん、それだけを生業にしているわけでもないので、割ける時間に限界があります。どうしてもある程度の猶予をもらわないと満足いく作品は仕上げられません。それでも、それでももっと早く書き上げたいという欲求を打ち消せません。プレッシャーというより、このジレンマとの折り合いをつけることの方が大変なのです。

よく脚本を書く上で、他者の作品を参考にしたり、影響を受けるようなことがあるのかと質問されることがありますが、それは皆無です。なにしろ、他人の作品には興味がありませんので、小説など読んだことがありませんし、映画やテレビドラマも全く見ませんし、舞台も滅多に見に行きません。影響を受けるきっかけさえないのですから。唯一、向き合うのが、己の過去の作品です。かつての渾身の一作、それを超えるような作品を生み出すことだけが、モチベーションと言えます。裏返せば、この世の中で一番面白いのは自分の作品だということです。馬鹿げたほどのナルシストぶりですね。しかし、芸術作品の評価に絶対的な尺度がない以上、主体的に判断できる自分の作品だけが、唯一確かな判断基準になることは確かなことではないでしょうか。他人の作品に感服し、目標だと崇拝しているようでは、自分の限界は超えられないはずです。それは劣等の受容、妥協の証明でしかありません。

まあ、そんなわけで、今から1カ月ほどは過酷な執筆作業に挑みます。仕事も新年度でいろいろな変化が生じるタイミングなので、はっきり言って五体満足で書き上げられるとは予測していません。それでも、時間は流れていきます。先送りにはできません。これまで以上の覚悟を持って、期待に応えられるだけの作品を生み出します。もちろん、自分自身の期待に。ナルシストでもあり、マゾでもある自分自身を超えていくために。

「俺たちをつなぐのは、そんなものじゃない」

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