先駆けるのは謙虚な繕いを恥する己惚れの実行。

Posted by theatreminori on 20.2012 主宰者コラム 0 comments
どうも。最近はTKGこと卵かけご飯に、さらにのりたまをかけて濃密な味を楽しんでいるSugiです。

今週のてあとるみのりも、なかなか充実した即興芝居を創出していました。これまで段階を踏んでプレセッションを行ってきたので、熟成度が違いますね。一般的なメソッドやワークショップでも、この方法論を導入すればかなりの効果を上げられるはずです。この辺りは、私が単なる演劇人ではなく、グループワーカーという地位を生業にしている経験が還元されていると言えます。

そんな今回のセッションの様子を少し紹介しましょう。

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何やらもめているようです。

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金塊を取り引きしようとしています。

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カメラに見得を切ってます。まるで歌舞伎です。

なんだかわけのわからない即興芝居ダイジェストでしたが、全体を見ても奇想天外でわけが解らない…ということはなく、見事な物語の展開とユーモアの共存がなされている、高い品質の芝居でした。それぞれの役者が呼応するようにアクションとリアクションを重ね、まさしくグルーヴが生み出されていました。

ここで披露された即興芝居が、そのまま脚本に反映されるわけではありません。あくまでも舞台を作るための訓練です。しかし、同時にこれは演劇本来の楽しみを体感するための時間でもありました。セリフという形にとらわれない、自由な反応の中に感情の発信と受信が存在する、そんなワクワクするような人間関係の表出こそ、演劇が根底に持つ面白さです。この交流の感触を、脚本の中のセリフに乗せてもできるかどうかが、演技の質の分かれ目になるはずです。得てして、このリラックス状態が、セリフという形を突き付けられた途端に消え失せて、単なるルーチンになってしまうものです。世の中そんな主体性のない自称役者が大多数です。てあとるみのりの素人たちには、そうはなってほしくないものです。

彼らは確実にレベルアップしています。この高い要求に及第点を得ているのですから。最強の素人集団。てあとるみのりがそう呼ばれる日もそう遠くはないかもしれませんね。

上書きしても過去は消えずに成果の中に生きる冥。

Posted by theatreminori on 16.2012 主宰者コラム 0 comments
どうも。昨日の昼、焼きそばにのりたまをかけたら美味しくて癖になりそうなSugiです。

脚本作りです。とにかく今は脚本です。以前にも紹介したことがあるかもしれませんが、3~4回はすべて一から書き直します。その後シーンごとの直しを入れて完成させていきます。物語的に区切りをつけると6~7稿重ねます。現在は第3稿の執筆に入っています。いつもは、改稿前のデータも保存していますが…うっかり上書きしてしまいました。もう過去には戻れない。そんな覚悟の表れです…ということにしておきましょう。

脚本は完成形を役者に渡すのが礼儀でもあり、芯の通ったいい舞台を創るには、それが当たり前のことです。仲間をつなぐ無二のツールが脚本ですから。とりあえず稽古を始めて、様子を見ながら並行して脚本を調整していくというのは、環境的に恵まれた方々の集まりでなければ成立しない気がします。絶対的な柱、目的、動機になる脚本にそれぞれがそれぞれの暮らしの中でイメージを注ぎ込み、時間の限られた稽古の場でぶつけ合い昇華する。悠長に調整している時間はありません。だからこそ、各自が持ち帰って、とことん煮詰めてこられるような、6カ月向き合っても底が見えないような、高いレベルで完成した脚本を提供しなければいけないのです。

私はいつもそんな風に自分を追い詰めながら作品に向き合っています。だからこそ、生み出せるのです。この恐怖があってこそ、魂が込められるのです。


すべての現象は偶然ではない。明確な理由が存在する。
それがドラマ。

帰属する思いが融和する信念を貫くための毒牙。

Posted by theatreminori on 13.2012 主宰者コラム 0 comments
どうも。実は今日現在DeNAよりも成績の悪い埼玉西武の行く末を危惧しているSugiです。

本日のてあとるみのりもプレセッションを行いました。3週連続の試みですが、もちろん回を重ねるごとに内容は進化して、より高いレベルへの適応が求められています。今回は脚本化されている部分とエチュード部分による構成。登場人物の性格や目的意識を突飛に逸脱させることができません。つまり、強引に話を進める力技は通用しません。あくまでもキャラクターの整合性、妥当性に基づく即興が要求されるのです。

そんな展開の中、稽古場でひときわ注目を集めた即興パートがこちら。



巨大な人食い蛇「アナコンダ」が、秘境探検に訪れた探検隊の一員を飲み込んでしまったのです。

はっきり言って、十分突飛に逸脱している気がします。この丸呑みにされている役者はかなりのアナコンダマニア。救助に駆け付けた他の役者に「まだ来るな!」「早いって!」と、アピール。「もっと飲み込まれて、体の表面が溶かされてから、ぐえーって吐き出されなくちゃダメなんだから」と、終了後には仲間にダメ出しです。もちろんこれは即興パートです、念のため。

まあ、そんな面白おかしいながらも白熱したセッションの後に、「Mission」に取り組む意識について、全員で共有する時間がありました。そこで確認されたことはいたってシンプル。
「己の取り組みに保険を掛けるな」
ということです。9月公演について「9月には忙しくなるかもしれないのでどこまでできるかわからないけれどやりたいです」「やりたいけれど仕事がどうなるかわからないから、セリフの少ない役がいいです」「難しくない役でお願いします」などという言葉が、ほぼすべての役者から聞かれました。まあ、先のことがわからないのは事実なので、何となくそう答えてしまいたくなるのは理解できます。しかし、本気で「やりたい」なら、「何があってもやり遂げます」「この役だけは全うして見せます」「どんな状況になってもやるからこの役が欲しい」と宣言するべきです。やる前から逃げ道を確保するような、もし中途半端に終わっても仕方なかったと言えるような、もっと頑張ることを避けて諦めるための理由を探すような半端な覚悟には意味がありません。口先だけで「がんばります」「努力はしていますけど」「なかなか時間がなくって」と語るのは、挑戦しない者の決め台詞です。取り組む前からそんな保険をちらつかせて、何がしたいのでしょうか?取り組む前に必要なのは自信でも確信でもありません。本気でやる、絶対に自分でやり遂げるという覚悟だけでいいのです。

本日語られたことはさらに深みのある内容にまで及びました。それをここで紹介することは控えます。なぜなら、その答えは9月の公演をご覧いただければ伝わるはずだからです。本日の帰路につく役者たちの目の色から、そんな覚悟を感じることができました。

今は、それが私の自己陶酔による錯覚、思い込みでないことを祈るばかりです。そう。飲み込まれた腹の中でどろどろに溶けて融和していることを。

共鳴するのは上辺の形ではなく秘められた僕(しもべ)の轍。

Posted by theatreminori on 06.2012 主宰者コラム 0 comments
どうも、最近は目の前にいる同僚にfacebookで話しかけることが多い回りくどいSugiです。

さてさて、先週と今週のてあとるみのりは、この時期恒例になりつつあるプレセッションを行っております。プレセッションとは、脚本の完成形や設定をイメージした状況下でエチュード(即興芝居)を行うものです。ここからアイディアが熟成されたり進化したりして、実際の脚本に反映されることもあります。もちろんキャラクターに対する役者の適性を察することもできます。ただの遊びのように見えて、今後の運命を左右するようなイベントなのです。正直かなりおもしろいです。脚本になった形式的な作品より笑えるかもしれません。とは言え、そこに物語としての骨格はありませんので、芝居としては成立していませんが。まあ、そこから先が私の仕事。

エチュードに取り組んでもらうと、役者個々の「やり易い演技の方向性」が浮き彫りになります。ある意味自然体。または苦しい時の切り札。それらが手に取るようにわかります。脚本もない、相手の出方も読めないわけですから、己が最も得意な方向性で凌ごうとするのは当然のことです。いくつもの引き出しを持っているかのように立ち回ったところで、帰結するのはひとつの柱。ナナメに見てしまえば一目瞭然です。それは全く持って悪いことではありません。むしろ、そんな役者個々の素の部分を捉えたいという意図もあるのですから。役者たちのささやかな極限状態での熱演には感謝しております。

さあ、そんな素材をかき集めて、「Mission」は日々成長と進化を遂げております。これまでにないような、それでいてこれまでの全てを含んでいるような、そんな2012年4月現在最高の遺伝子を放つための作業を積み重ねています。彼らが演じるに値する作品を、彼らへの敬意を込めて生み出すために。

脚本を役者たちに書いてあげているのではありません。共に作り上げる作業を重ねているのです。それぞれの役割の中で。

作り手が上から目線になった時点で、集合体としての創作芸術は壊死します。
ですから、常に、上を目指して。
ただひたすらに。

それが、私のMissionです。


蝉の七日間のように。

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